前回に引き続き、株式会社ワークマンの八田様に、誰も知らないワークマン雑学についてインタビューをさせていただきました!
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- ①黄色と黒のロゴマーク誕生秘話とマークに隠された文字とは?
②行こうみんなでワークマンの誕生秘話!水曜日のダウンタウンの説にもなった○○ハウスのCMとの関係とは?
③30年以上前にあった超幻のプライベートブランド?群馬県の市で桐生だけ店舗が無い理由とは?
前回は、「行こうみんなでワークマン」というCMソングの誕生秘話と、吉幾三さん以外にいたイメージキャラクターの候補者について、お話を伺いました。
今回は、30年前にあった超幻のプライベートブランド、群馬県の市の中で桐生市だけ店舗がない理由について、引き続き八田さんにインタビューした内容を記事にしています。
なお、この内容は以下の動画にもまとめていますので、そちらも是非!
八田様のご経歴
1990年に株式会社ワークマンにご入社。
現在は加盟店推進部の部長を務め、これから新しくフランチャイズ店舗のオーナーになる方々の最終面接を担当。
30年前に登場していた幻のプライベートブランド
ワークマンは今、イージスやフィールドコアなどのプライベートブランドを展開しています。
しかし、その前身となる超幻のプライベートブランドがあったとのことですが…。
90年代に作業服だけでなく、プライベートも楽しむ時間を提供しようというコンセプトで作られたブランドなんです。
でも、めちゃくちゃ高かったんですよ。
あ、そうだったんですか。
そこは今とは違いますね。
これは実は実家から掘り出してきました!
え、わざわざ実家から持ってきてくださったんですか!
ありがとうございます!
30年前のビンテージワークマンです。
このマウンテンパーカーは、当時、1万5000円ぐらいしました。
そうなんですよ。
生地も高機能で、30年経った今でも撥水性があります。
はい、時代の先を行き過ぎていたのかもしれません。
残念ながら、あまり売れずに終わってしまいました…。
群馬県の市で桐生市だけワークマンが無い理由
メンバーの出身地である桐生市には、ワークマンの店舗がないんです。
そうなんですよね。なぜ桐生だけないのか。
群馬の市の中で、桐生市だけないんですよ。
実は、私も理由がよくわからないんです。
当時、店名に東西南北を付けるのが流行っていたんです。
それで、桐生市の名前を使ったんでしょうね。
東京ディズニーランドと一緒ですね。
「桐生市の名前を使った方が良いだろう」と判断されたと。
それ以来、桐生の名がつく店舗はありません…。
桐生市の周りには店舗が多い
本当のところを言うと、ワークマンは最初、伊勢崎市でできて、その後、大間々、埼玉の深谷や本庄、太田、藤岡、足利と店舗ができていきました。
なので、桐生市の周りにどんどん店舗ができていったんですね。
ワークマン30年の変化
正直言うと、昔はだいぶブラックでしたね。
今でも覚えていますが、本部に配属された時、社内はタバコの煙で真っ白でした。
当時の上司は、怖かったですね。
そういう時代を経て、今のようなホワイトな会社に変わっていったんですよね。
当時は、夜11時から会議とかやっていましたね。
はい、今は定時で帰らないと、逆に怒られちゃいます。
働きやすい環境になったと思います。
八田さんありがとうございます!
今回は、ワークマン加盟店推進部部長の、八田さんにお越しいただきました。
八田さん、貴重なお話をありがとうございました!
まとめ
第三回に渡ってお送りした、誰も知らないワークマン雑学。
本当に初出しの情報が多くて、大変貴重なインタビューになりました!
個人的には「行こうみんなでワークマン」のCM裏話がとても面白かったです。
皆さんはどのエピソードが印象に残っていますか?
また今後もこのようなインタビューコンテンツを制作していくので、ぜひブックマークやSNSフォローをよろしくお願いいたします!