閉鎖の危機を乗り越えて 人気の競艇場へ

どうもこんにちはダブドリ現場主任です。
今回は前回に引き続き、桐生競艇について書いていこうと思います。

ボートレースの過去の売り上げについて

前回の記事でも書きましたが、今年のボートレースは過去最高の売り上げ高を更新しました。
実に30年ぶりの快挙です。

では、過去の売り上げ高はどうだったのか?
調べてみました。

年次 売り上げ
1990年 2兆1499億4601万6700円
1991年 2兆2200億1044万5800円
1992年 2兆1288億9723万2500円
1993年 1兆9984億8715万3400円
1994年 1兆8688億8646万5400円
1995年 1兆8121億9430万9400円
1996年 1兆8335億4724万3200円
1997年 1兆7751億7783万5400円
1998年 1兆6266億8645万6000円
1999年 1兆5044億4527万2600円
2000年 1兆3660億0431万9100円
2001年 1兆2893億4264万2900円
2002年 1兆2330億4010万0200円
2003年 1兆1053億9143万1400円
2004年 1兆0020億0979万2500円
2005年 9777億6266万4300円
2006年 9650億5370万8900円
2007年 9950億2020万7800円
2008年 9930億3392万4100円
2009年 9364億6963万8900円
2010年 8968億0963万8800円
2011年 8634億0720万6500円
2012年 9167億0314万4100円
2013年 9475億9354万6600円
2014年 9788億9318万0700円
2015年 1兆0338億2066万9600円
2016年 1兆0875億3411万6500円
2017年 1兆2063億6086万7100円
2018年 1兆3236億5751万5600円
2019年 1兆5342億1092万3600円
2020年 1兆9014億8760万2100円
2021年 2兆3301億8782万3700円

 

数字では分かりずらいと思うので、グラフにしてみました。

30年前は売り上げが2兆円を超えていました。
しかし、2000年代に向けてどんどん売り上げが下がっていますね。
どうして売り上げが下がってしまったのか?
バブルが弾けたからです。
売り上げ高の減少は止まらず、2005年にはついに1兆円を下回ってしまいました。
そうなると、経営が厳しい競艇場が出てくると思いませんか⁇
桐生競艇も経営の危機を迎えていました。
しかし、グラフを見てもらうと、売り上げ高は2010年辺りから回復してますね。
それはどうしてなのか?
ぜひ、先を読み進めてください!

閉鎖の危機をどうやって…

経営の危機を迎えてしまった桐生競艇。
どうやって乗り切ったのか?

民営化によって、経営の危機を乗り越えました。

ボートレースは公営事業です。
当時は桐生市が主催者をしていました。
※ボートレースの主催者のことを施工者と言います。

桐生市以外にも阿佐美水園競艇組合も施工者を務めていました。
第1施工者:桐生市
第2施工者:阿佐美水園競艇組合
この2団体で運営をしていたのです。

桐生市は競艇場の賃料引き下げなどで管理運営会社と折り合いがつかず、
競艇事業からの撤退を表明しました。

本来であれば、2003年度で閉鎖の予定でした。
しかし、第2施工者の阿佐美水園競艇組合が名乗りをあげたのです。
阿左美水園競艇組合が桐生市主催分の全日程を引き継ぐ形で、
桐生競艇の存続が決定しました。

阿佐美水園競艇組合が第1施工者となり、桐生競艇は生まれ変わりました。
運営を関東開発という民間企業へ委託したのです。

運営を任された関東開発とは何者か?
桐生市が賃料の値下げで交渉をした管理運営組合がいましたね。
その会社が関東開発なのです。

関東開発は以下のような取組みで成果を出しました。

    • ナイターレースの成功
  • レース券の場外発売

これらの結果、
2014年度の売り上げは全国5位
2016年度の売り上げは全国2位
となりました。

現在でも上位の売り上げを記録しており、
全国屈指の人気競艇場に変貌しました。

 

次回、関東開発の経営改善の手腕について

今回の記事はここまでです。
この記事を通して、もっと桐生競艇について知ってもらえれば嬉しいです。

次回は売り上げをV字回復させるきっかけとなった関東開発について紹介します。
経営改善の手法について詳しく書いていきます。

ではまた次回の記事で‼

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