今回から、株式会社ワークマン 広報部の鈴木様へインタビューを行った模様を全7回でお届けします。
- インタビュー記事一覧(クリックすると展開されます)
- ①ワークマンが歩んだ歴史。リーマンショックがオリジナル商品開発のきっかけだった?
②ワークマンの歴史を変えたある異常値…。バイカーからの熱烈な支持を集めたある商品とは?
③「まさかこの行列ってうちの店?」話題のワークマンプラス開店時のエピソードに迫る!
④ワークマンシューズ・ワークマンプロ そしてキャンプ用品販売など、新しい取り組みが目指す道
⑤ワークマンを支えるアンバサダー制度。無報酬でも続く理由
⑥広報部の鈴木さんに聞く!いま、おすすめしたい3つのオリジナル商品(シリーズ)とは?
⑦ワークマンは10年後にどうなっている?ワークマンプラスやワークマンプロの店舗数は?
ワークマンと言えば、ベイシアグループに属する、群馬出身の企業です。「商品が素晴らしい」「とても安い」ということは知っていても、これまでどんな歴史を辿ってきたのか?について知らない方が多いのではないでしょうか?
最近では、ワークマンプラスやワークマン女子など魅力的な商品を販売している新業態店舗がどんどん出店していて、売り上げが好調というニュースをよく目にします。
- 「新業態やPB(プライベートブランド)はどのような経緯で誕生したのか?」
- 「新業態誕生時の、社内のリアルな反応は?」
など、なかなか世に出ていないお話を聞くべく、広報部チーフを務める鈴木様へインタビューを行いました!
鈴木様のご経歴
2009年に新卒で株式会社ワークマンにご入社。現在14年目。
店長職経験後に様々な地域のSV(スーパーバイザー)として活動。その後、広報部に移り、現在は広報部チーフを務める。
鈴木様のご経歴
お忙しいところ、お時間いただきまして、ありがとうございます。それでは、インタビューよろしくお願いいたします!
まず最初に、鈴木様のご経歴をお聞きしたいです。株式会社ワークマンへは新卒でご入社されたのでしょうか?
はい、新卒で2009年に入社しまして、そのまま在籍しています。現在で14年目になります。
そうなんですね、最初から広報部だったのでしょうか?
我々新入社員として入ったら、まず現場を学ばなければいけないというところで、大体2年間ぐらい店長職をやるんですよ。その後、新店に関わった後に、営業やSV(スーパーバイザー)などになるのですが、私はSVが長かったです。
SVを長く経験した後、広報部に移りました。
SVというのは、色んな店舗を取りまとめるような役職でしょうか?
はい、そうです。ワークマンは基本的にはフランチャイズ経営なので、店長さんは一般の方です。
なので、本部の考え方や指針を週に1回程度店舗に行って指導したり、現場の課題をヒアリングしたりしています。
SVをやられていて、「結構大変だったな」みたいなことって何かご経験されてたりしますか?
店長さんが商品を入荷する際に、好きな商品を入れたくなります。
売れないけど置いているっていう時もあって、そういうところを数字を出して改善してもらう・理解してもらうっていう仕事が難しかったです。
なるほどです。店長さんも生活がかかっていますもんね。
ちなみに、群馬出身の企業ですが、ご入社される方は、やはり群馬の方が多かったりしますか?
意外とそんなことはないです。やはり全国区の企業になってきたのかなと思います。
ワークマンとリーマンショック
続いて、ワークマンの歴史について、聞いてみました。
80年に伊勢崎で1号店を開店。それ以来、88年にはもう100店舗、2002年に500店舗を超え、2017年に800店舗達成。そして最近はワークマンプラスなどの新業態を開始しています。
我々の小さい頃から有名な企業で、どんどん右肩上がりに事業が伸びている印象があるのですが、「実はあの時、ちょっと危険でした」のような時期はあったのでしょうか?
創業から年々売り上げは伸びていたんですが、2008年にリーマンショックがあったじゃないですか?その影響を受けて2009年度と2010年度、2年連続で売上高が前年から落ちた年があります。
危機っていう程ではないですが、そこがワークマンの転換期の一つなったところでもありますね。
あれ、ちょうどご入社された年じゃないですか?
そうなんですよ笑
私も入社してあまり分かっていなかったんで、「こんなにお客さん少ないんだな」って思っていました。それが実は特別な年だったようです。
そうだったんですね笑
ちなみに、その状況は景気と共に回復してきたのか、それとも内部的にも何か改善を行ったのでしょうか?
改善をしました!
それまでワークマンは小売業で、基本的にメーカーさんが作ったものを仕入れて販売するのが主でした。リーマンショックや今後の作業人口の減少を見越して、「ワークマンでしか買えないものを作ろう」と方向転換しました。
まずはOEMと言ってメーカーさんにお願いしてワークマンでしか買えない製品を作るというのが始まり、それが結構上手いこといったので、2012年にPB(プライベートブランド)商品を作り出しました。
PB商品がスタート
その時期からなんですね!最初はどのような商品から作られたのでしょうか?
PBでいうと、作業服なんですけど、作業する人たちが作業以外の休日でも着られるような製品を作ろうということで、レインウエアなどを中心に派手な色のものを作りました。
メンバーに大工をやっている人がいるんですが。あ、ちなみに全身ワークマンだそうです。
そうなんですか!ありがとうございます笑
彼は、「ワークマンにいくと、普段も着れるような服が多い」とよく言っています。
本当そうなんですね。今スタイリッシュでカジュアルな作業服が流行ってるんですが、他のメーカーさんはあくまで作業服がスタイリッシュでカジュアルという商品です。それが休日とか仕事以外で着れるかというとそうでもないのかなと。
ワークマンは高機能ながら一般の方でも着れる服というのが特徴です。
リーマンショック以降で景気が悪くなり、会社から作業服が支給されなくなって、個人で購入する方が増えた。
その結果、派手な作業服を選びやすくなったというお話を聞いたことがあります。
それもあります。まさに私たちのメインターゲットにしているお客様って、小規模の会社の方が多かったです。
そのため、景気のあおりを受けやすく、「制服代が出ない」というのはその当時よく聞いてましたね。
先ほどの大工のメンバーは、平日のお仕事中はもちろんのこと、休日もずっとワークマンの服を自費で買って着ています。
たぶん、彼は、ワークマンの服しか持っていないです笑
まとめと次回
ワークマンのオリジナル商品といったら、YouTubeなどで色々な人が着ている映像を目にします。しかし、リーマンショックがPB(プライベートブランド)開発の転機になったというのは全く知りませんでした!
こういった逆境から良い方向に転換する強さが、今のワークマンの成長に繋がっているのかなと思いました。
ただ、PB商品を作っても、今のような世間の認知度は無かったそうです。しかし、ある出来事がきっかけで一気に認知度が…。
次回は、その「ある出来事」について深堀りしていきます!お楽しみに!
- インタビュー記事一覧(クリックすると展開されます)
- ①ワークマンが歩んだ歴史。リーマンショックがオリジナル商品開発のきっかけだった?
②ワークマンの歴史を変えたある異常値…。バイカーからの熱烈な支持を集めたある商品とは?
③「まさかこの行列ってうちの店?」話題のワークマンプラス開店時のエピソードに迫る!
④ワークマンシューズ・ワークマンプロ そしてキャンプ用品販売など、新しい取り組みが目指す道
⑤ワークマンを支えるアンバサダー制度。無報酬でも続く理由
⑥広報部の鈴木さんに聞く!いま、おすすめしたい3つのオリジナル商品(シリーズ)とは?
⑦ワークマンは10年後にどうなっている?ワークマンプラスやワークマンプロの店舗数は?