利根川と聞いて、何を思い浮かべますか?
・群馬県が源流
・ブラック企業の中間管理職
色々あると思いますが今日からは、
「東京を世界一の大都市にした立役者」と答えて下さい!
どういう事なのか。
それが今日紹介する利根川東遷事業と関係しているのです。
順を追って解説していきます。
今回は、3つのトピックから利根川東遷事業を深掘りしていきます。
- 利根川東遷事業の概要
- 川の流れを変えた理由
- 東遷事業の結果どうなったのか?
この記事では、東遷事業の背景と結果に焦点を当てて解説していきます。
東遷事業の内容については、解説を省略させてください。
国土交通省関東地方整備局のHPに、詳しくまとまっています。
詳しくはこちらから。
youtubeでも群馬の魅力を発信しています。
利根川東遷事業の概要
まずは、利根川東遷事業について概要を紹介していきます。
利根川の流れを東に遷した
過去の利根川は、群馬から埼玉を経由して東京湾に流れていました。
利根川東遷事業の結果、千葉の銚子がゴールになっています。
図でも分かるように、東に流れが遷っていますね。
どうして流れを変えたのか。
東遷事業の結果どうなったのか。
詳しく解説をしていきます。
徳川家康が命じた公共事業
利根川東遷は徳川家康が命じた公共事業です。
豊臣秀吉から江戸を統治するよう言われた徳川家康は、関東地方の整備から始めました。
当時の関東平野は、利根川が氾濫を繰り返していました。
とても首都を築くような土地ではなかったのです。
昔の関東平野がどんな状態だったのか。
次の章をご覧ください。
関東平野を形成するために、利根川を整備
当時の利根川は氾濫を繰り返していたと、先ほど紹介しました。
そんな土地ですから、関東地方は沼地や湿地帯だったのです。
- 沼地なので家を建てられない
- 畑が作れず農作物を栽培できない
そのままでは人が住めない環境でした。
ということで、家康は川の流れを変えようとしたのです。
川の流れを変えた理由
関東平野を整備するために利根川の流れを変えたと、
ここまでの解説で理解してもらえたと思います。
次は、そもそもの話をしていきましょう。
順に解説します。
浅間山の火山灰
豊かな土壌「関東ローム」を形成するなど、恩恵があったのは事実です。
その反面、火山灰による被害もあったのです。
火山灰が積もり、川底が浅くなってしまいました。
その結果、利根川は氾濫しやすい川になり、関東地方は湿地帯になったのでした。
関東以西の山々
溢れた水は関東地方に流れ込みます。
結果、湿地帯になってしまったのです。
詳しくは、下の写真を見てください。
(出典:国土地理院)
これでは利根川から溢れた水は、関東地方に来るしかありません。
次章で解説していきます。
東遷事業の結果
関東平野ができて江戸の街が発展
利根川の氾濫がなくなり、関東平野が整備されました。
食料と住む場所が確保できたことで、江戸の街は発展しました。
こうして、江戸の街は世界一の都市になったのです。
水路を形成して、物流が活発になり街が栄えた
街並みだけでなく、水路も整い水上交通網も整備されました。
結果、江戸の街に遠方から人と物資が集まり、さらに発展していきました。
今でもその名残を見ることが出来ます。
現代と異なり税金は年貢として米を納めていました。
だからこそ、水上交通の重要性は今よりずっと高かったのです。
最後に
群馬が水源の利根川は、江戸の街の発展に大きく寄与していました。
利根川東遷事業は過去の話ではありません。
現代の暮らしにも影響を及ぼしています。
次回はそんな紹介もしていきます。